『日本まんが 第弐巻 男が燃えた!泣いた!笑った!』
[編著]荒俣宏
東海大学出版部
2015年1月20日発行
定価:3500円
ISBN978-4-486-02050-9
[目次]
弐の一 さいとう・たかを編
「さいとう・たかを」はプロデューサーである
一 「10セント・コミック」に始まる
–みなさんマニアで、好きだからまんがの世界を選んでくるわけでしょ ところが、私の場合は、これを職業にしようと思ってはいってきたんですよ
–(まんがは)ビッグビジネスになると信じていましたね
–一人でやる世界じゃない…、紙の映画…、マスメディアとしてのまんがですよ
二 東京での苦闘と劇画システムの構築
–「劇画」は単なる名前じゃなくて、組織であって欲しかったんです
–紙で映画をつくっている気持ちですよ、今でも
三 まんがの「王道」を極める
–私は時代劇が好き、『ゴルゴ13』は苦手な世界の作品
四 青年まんがの道を拓く
–あきらめるな、読者は必ずいる、どこも出してくれないなら、自分で出版社をつくればいいんだ
弐の二 松本零士編
「まんがというのは、若々しい目で描いた絵という意味なんです」
一 逞しき少年時代の思い出
–ガキのときの冒険と訓練が、大人になって命を救う
–若いときにだれにでも訪れる旅立ちの瞬間 そこで踏み切るか、踏み切らないかで運命が変わりますよ
二 出会う人すべてが親切だった
–松本零士のいくところ、いつもドラマが展開する
–何のためにまんがを描くかというテーマに目覚めた『男おいどん』の「不滅のインキンタムシ」
三 乙女のロマンから宇宙にまで発展した世界旅行
–子どものときにあこがれたり、好きだったものとは、後になって全部本物と接していったんですね
四 冒険旅行最後の体現者として
–アフリカでキリマンジャロを見て、三六〇度天と地が接しているのを見たときにね、心が抜けるように空っぽになりました。…この世は、おれが生まれる前からあって、死んだ後もある、何をくよくよすることがあるかってね
–そういうバカをやることが、また全部、まんがを描く素材になるわけですよ
弐の三 平田弘史編
「どうでもいいような生き方をした人には興味がない。社会では認めていないが、おれは認めるという描き方をする」
一 大いなる武士道劇画の巻
–(処女作の『愛憎必殺剣』は)、ストーリーも何も、一挙にまとめて一六枚描けちゃった、一二時間でだよ
–おれは最初の作品が採用された時点で、会社も辞めたからね
二 平田史学を学んだ天理図書館
–既製品の雲形定規では、満足の行く刀の線はでませんね
–天理図書館へしょっちゅう弁当箱持って行って、そこで写本を書き写していました
三 時代劇王のメカニックなニチジョウ(前半)
–映画『切腹』に学んだシナリオ術
–いよいよ東京へ
–「へのへのもへじ」を描く
四 時代劇王のメカニックな日常(後半)
–東京から伊豆の富戸へ
–『平田弘史のお父さん物語』の世界
–フランスで評価される平田作品
–「侍」ではなく、「武士」になれ
弐の四 バロン吉元編
「いき」にこだわる「アウトロー」
一 若い人に読んで欲しい『柔侠伝』シリーズ
–売れたのにテレビに出られなかった事情
–竜巻がギャンブルを止めさせた?
二 ヤング・バロン激動の青春期
–満州から鹿児島県・指宿へ
–血のにおいの描けていない映画やまんが
–高校入学と「画劇」への興味
三ヤング・バロンまんが家への道を行く
–まんが家になる前の試行錯誤
–劇画との出会いと、まんが家入門
–手塚先生との話から、アメリカに家をもつ
四 アメリカ放浪を経て、原点としての「絵」の世界へ
–アメリカン・コミックでアメリカに挑戦
–マーヴェル・コミックスの雑誌に一作が掲載される
–「龍まんじ」としての世界と、海外への挑戦
–バロンピックの体験で変わる子どもたち
弐の五 みなもと太郎編
「こっちは歴史ではないからね。まんがで食ってるわけだから」
一 まんがに生き、まんがに死す
–物心ついたときから、死に物狂いでまんがを探し求めていました
–富永一朗も愛読した中学生
二 ファンからプロへの移行―みなもと太郎の場合
–石ノ森が「これを批評しなきゃいけませんか」と、ひとこと
–デビュー一本でつぶれていく人がたくさんいるのは、私にはよくわかる 売ったのは原稿じゃなく、無限の価値があった描く楽しみだったわけ
–「作画グループ」と出会って、立ち直りました
三 熱い青春の終りとナンセンス・ギャグの誕生
–おれは一人でどういうものが描けるんだ、描きたいんだ、と自問しました 出てきたのが、ギャグ
四 日本まんがを埋もれさせないために
–世の中は創作の好きなタイプと、構成に秀でた人と、その二通りに分かれるようです
–僕の場合、(構成の)膨らませ方が、パロディーだったんです