カトゥーン部会2006年度第8回研究会


Ⅰ日時  2007年3月3日(土)16:00~19:00
Ⅱ場所  神奈川近代文学館小会議室:(231-0862横浜市中区山手町110)
Ⅲ報告者・報告題目
<第1報告>
本間利沙 氏(慶應義塾大学):「なぜ『新聞の盲腸』は青年マンガ誌に移植されたのか」
<第2報告>
藤本純子 氏(大阪大学大学院):「少女マンガにみる自我表現の現代的状況」
Ⅳ 研究会報告概要
<第1報告>
1954年に、H・L・スミスは、米国新聞漫画の現状を、20世紀初頭と比較して、存在意味がわからない「新聞の盲腸」だと揶揄した。現代の日本の新聞一コマ漫画も同じ状況にあるという認識から、
第2次世界大戦後、日本の「漫画」(風刺漫画)が「衰退」したという認識に立って、その原因を社会状況の変化と、娯楽を旨とする「マンガ」(雑誌マンガ) の台頭に求めた。社会状況の変化では、関心や価値の多様化が風刺の対象の拡散を招いたことが示された。「マンガ」の台頭については、次のように説明され た。1960~70年代の青年コミックは、自らの生活を描いて、読者に「マンガへの自己投影」を求めた。それによって、本来、大人を対象としていた新聞 「漫画」から、特に「団塊の世代」の読者を奪っていった。
参加者からは、1940年代後半は階層化が現在より激しかったため、豊かさとは違った指標で、価値観や関心の「共有」を説明すべきではないかという指摘が あった。また、「漫画」にとって、雑誌と新聞とはどのような役割の違いがあったのか、現在の私たちから見て、1940年代後半1950年代の「漫画」はど う読めるのか、現代における「風刺」とは何か、といったことがらについて議論がなされた。
<第2報告>
1970年代以降の少女マンガは、近代的な自我(アイデンティティー)の確立を目標とした自我の成熟を重要なモチーフとする表現媒体である。この中の作品 で、二人以上の主人公が登場し、互いの葛藤を通して社会的成熟が表現されていく物語構造をもつものがある。その構造を「統合的自我構造」と呼ぶ。ところ が、現在の少女マンガを代表する作品とされる『NANA』においては、この「統合的自我構造」にゆらぎがみられる。すなわち、成長(自立)への規範意識が 薄く、変わらない(変えられない)「私」を肯定する物語構成がみられる。これが「等身大」「リアル」として評価されているとすれば、この作品は、少女マン ガにおける自我表現の方向の変化を示唆しているのではないか、という内容の報告であった。
参加者からは、作品に対する他者性の強さについて、物語からでなく、画像の「読み取り」(印象も含む)からも論じられた。また、「成熟」志向の希薄さは、 あるべき自我に先立つ混沌状況の知覚および認知に、作品の関心の焦点があるがゆえではないかという指摘もあった。
(文責 茨木正治)

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