少女マンガ誌部会 第2回研究会
日 時:2007年10月20日(土)14時~18時
場 所:関西大学(千里山キャンパス)尚文館505教室
■報告者 押山美知子(専修大学人文科学研究所)
■報告題目 少女向けストーリーマンガの成立過程-松下井知夫と早見利一を中心に
■概要
手塚治虫『リボンの騎士』(「少女クラブ」1953~1956)が連載される以前に描かれた戦後の少女向けマンガの検証を目的に、1945年9月から1952年12月までの少女誌5誌(「少女クラブ」「少女サロン」「少女の友」「女学生の友」「少女」)に掲載された松下井知夫と早見利一の作品(国際子ども図書館、神奈川近代文学館、都立多摩図書館、大阪国際児童文学館所蔵分)を調査した。「少女ブック」「少女ロマンス」が未調査となったこと、早見作品の調査が十分に行えなかったことなどから、中間発表の形となったが、松下井知夫では「悪魔ミゾレイと純ちゃん」(「少女クラブ」1947年12月号)、「銀目の女王さま」(「少女クラブ」1948年新年号~12月号)、「ねこのシロちゃん」(「少女クラブ」1949年7月号~1950年12月号)、「こつぶのノコさん」(「少女サロン」1950年6月号~連載終了年月未確認)、「ペラコとモウさん」(「少女の友」1950年6月号~連載終了年月未確認)、「クイン・モナの冒険」(「女学生の友」1950年4月号~1951年8月号)、「シロちゃん冒険記」(「少女クラブ」1951年新年号~12月号)、「シロちゃんグループ」(「少女クラブ」1952年新年号~連載終了年月未確認)、「ノコさん姉弟」(「少女サロン」連載開始年月未確認~1952年12月)、「ジャンケントリオ」(「女学生の友」1952年4月特大号~連載終了年月未確認)の十作品、早見利一では「お顔はきれいに」(「女学生の友」1951年新春明朗特大号)、「ほがらか三嬢士」(「少女の友」1951年1月号~連載終了年月未確認)、「どりちゃん」(「少女」1951年3月号~連載終了年月未確認)、「冒険リリー」(「女学生の友」連載期間未確認)、「ミスリボンの冒険」(「少女サロン」連載開始年月未確認~1952年12月号?)の5作品について物語内容及びマンガ絵の表現をそれぞれ分析した。
現段階における分析結果として、まず松下作品ではテーマとして〈内的世界〉(「悪魔ミゾレイと純ちゃん」の「心」・「銀目の女王さま」の「心」と「地底世界」・「シロちゃん冒険記」の「夢」・「クイン・モナの冒険」の「心」と「分身」)への強い関心が見られ、そのような現実とは異なる世界を描くためにファンタジーという選択肢が取られたと考えられるが、この場合のファンタジーとは美しさや楽しさに溢れた世界ではなく、非合理的で混沌とした無意識世界を指し、言わば言語化・視覚化しにくい世界を描き出そうとした指向性が見られる。また、ヒロインは「わたし」自身に対する懐疑を持ち(「銀目の王女さま」のジュン子・「クイン・モナの冒険」のモナ)、「わたし」を探究すべく〈内的世界〉へと迷い込むが、作中においては「わたし」以上に〈内的世界〉の有り様そのものに焦点が当てられることから、キャラクターとしての存在性は薄い。『ねこのシロちゃん』や『こつぶのノコさん』など、キャラクター的主人公が描かれる作品もあるが、発する言葉が飼い主に理解されないために行動を誤解されるシロや基本的に一言も発しないノコのように、キャラクターとして確立されていても非言語的な存在である。ジェンダー表象の点では、例えば『クイン・モナの冒険』のヒロイン、モナは鎧と剣を身に着け、敵と戦う場面が描かれるものの、戦い自体は従者の二人が繰り広げるドタバタの背景として描写されるに過ぎず、焦点化されることがない。すなわち物語はあくまでリザの花探しを中心に展開し、そのことから言えばモナの戦いの描写をモナの男性的側面の表象として捉えることは難しい。物語構造としては脱中心的且つ反意識的な点に特徴があると言え、波線や点線、ベタ塗りの太い線などを用い、楕円や多角形など様々に形を変えるコマ枠は、そのような不確定でカオス的な物語世界を表出する上で不可欠とされ、一定の効果をあげていたのではないか。松下井知夫はユーモアを中心とした当時のコママンガや手塚治虫のストーリーマンガとも異なる、特異な物語世界の描出をマンガで試みていたと見ることができるように思われる。
一方、早見作品に関しては未調査のものが多く、現段階において明確なことは言えないが、早見自身が「作者」として作中に登場し、キャラクターたちと会話する、キャラクターが来月号の「つづき」について言及するなど、メタフィクション的要素が頻繁に盛り込まれている点が特徴として見受けられ、所謂マンガ的な約束事を“笑い”に転化することで、従来のコママンガとは異なる趣のマンガを描き出そうとしていた様子が垣間見られる。
上記の発表内容に関し、出席者からは「松下のデザイン的なコマ割りは画家としてのセンスが反映されたものではないか」、「苛々するような物語展開は、頁数の少なさ(一回につき2~8頁)という制限が要因ではないか」、「絵柄に外国のマンガの影響が感じられる」、「戦いではなく、何かを探し求めることを中心に描いているという点で、戦いを主に描く少年マンガとは切り離される少女マンガのジェンダー化が指摘できるのではないか」、「早見作品に関しては赤本を調べる必要がある」、「メタフィクション的要素を笑いへ転化させる手法は、早見以前にもあったのではないか」といったご指摘をいただいた。今後更に調査を進め、研究を深めていきたいと考えている。(文責・押山)